このお墓は、洞光寺中興第一世の憲勤さんのものです。

洞光寺は武田軍が攻めてきた時に燃やされてしまい、その後に憲勤さんが再建したことになっています。

再建した時に授かったと思われるお寺の名前がお墓の後ろに彫られているのですが「能作性徳山如法瑞珠院大圓洞光寺」と長い名前です。

しかし、このお墓は私の3代前の住職が建てたものなので古いものではありません。このお墓を建てる前は、憲勤さんのお墓はなかったと言う話です。

なので、この長い名前はどこの記録に残っていたものをお墓に彫ったのかわかりません。

代々住職に口頭で受け継がれてきたものだとしても私には伝わっていませんし、残念ながら洞光寺には古文書の類にものは皆無です。

お寺の名前が長いと言うことは、格式の高いお寺であると言うことですので気になるところではあります。

かつて信濃の国に6ヶ寺あったとされる定額寺のひとつ錦織寺の後身ではないかと言う説もある洞光寺です。

歴史が好きな方がいらっしゃれば、是非洞光寺についても研究していただきたいです。